2011-07-23

放射線 「他に選択肢があるのに、好き好んで、選りに選って、わざわざ被曝することもない」だろうに

先々週のたかじんの「そこまで言って委員会」で、放射線被曝を我が子にさせたくない(主として)母親のpracticeは「正義」かどうかという設問がありました。パネラーの中の武田邦彦教授だけが「正義」であると回答していました。他のパネラーは押しなべてそれはやり過ぎとの意見を表明していました。例えば金(美齢)さんは「修学旅行で被災地に行こうという案に反対する父兄がいて取り止めになった(とかどうか…)」と発言していました。他のパネラーも同様な反応でした。

筆者は、「他に選択肢があるのに、好き好んで、選りに選って、わざわざ被曝することもないだろうに」と思います。食べるもの、行くところ、住むところ… 全てに制約を強いられるのですが、その行動の判断をする基となる汚染マップ、経時(累積)被曝量すら不明な状況下、安全サイドをよる人たちの行動を、素人が不正義であるなどと言う権利はあるはずもないのです。高線量の土地に住んで、高度汚染食品を作っているのは彼らの自由意志なのですから、自分たちだけで消費し、封じ込めておいてもらいたいものです。

最近は、セシウム牛だけが広範な流通を大々的に取り上げられていますが、他の畜産物や、トレーサビリティに不備のある野菜や、本命の魚に関する情報は限られています。産地の除染もほとんど進んでいないのが実情であり、そんなところで作られた・収穫した食品を「他に選択肢があるのに、好き好んで、選りに選って、わざわざ被曝することもないだろうに」と思う訳です。このように、既に日本人は「食品」からだけで、3.11以前よりも多くの被曝をしていることは間違いないのですが、「大気」はどうなのでしょう。こちらも除染が進まないせいで、ホットスポットは残存し、風に巻き上げられた放射性物質が雨で固着化し、スポット数も増加しています。さらに言うと、ヨウ素、セシウムだけを取り上げて、調査が難しいからといってストロンチウムやプルトニウムを調べようともしない当局の姿勢も相変わらずです。

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