2009-09-08

日和見原理主義(2/3)

忙しい最中に本則業務から外れた案件に関し、解りにくい文書を読めと言い、実態が判って質問をすると「最初に言わないほうが悪い(から黙って拠出しろ)」 との回答、あげくの果てには、自分は提案者の調整役であるだけとの魂の抜けたような、(提案者の)上司としてあるまじき発言が飛び出すのです。提案者と言 われる本人も、その実力からして本当に提案したのかどうか判らない状態です。即ち、実際はこの幹事役が提案者でありながら、「部下から上がってきた提案な ので、その推進のお手伝いをしているだけ」ということらしいのです。余りにも立ち位置のグラグラなこの幹事役も、実は筆者の同窓のまたしても一年上なのが 悲しいところです。

繰り返しますが、この提案の精神は賛同に値するものでしたが、アプリケーションの方法が不味かったと言えます。資金拠 出の枠組みに、「部課長会」という命名をしてしまったのです、部内の半ばオフィシャルの慶弔関係を扱う「役付き会」とかいう組織があるにも拘わらず。その資金は、活動推進のためのインセンティブとして、チームごとのパフォーマンスに応じて食事会というコミュニケーションに使われたのです。言い出しっぺの幹 事役のチームが当然のごとく受給の恩恵に預かりましたが、それをここで責める積もりはありません。

以下のドラッカーの言葉に寄れば、提案者が若いスタッフ(幹事役談)ですので、推進のリーダーシップの部分を代行し、アプリケーションの不味さが露呈した 時などには、それによって本体が座礁しないように手配し、イノベーションを達成するのが幹事役の責務ではないでしょうか。今回の場合において、「予期せぬ 困難」である資金拠出者の造反(筆者で3人目/15人)は、アプリケーションの不味さによって当然起こったものであり、熟読せず一旦賛同した筆者の変節は幹事役にとって気の毒であったと言えま すが、不可避だと言えましょう。

「イノベーションはもちろん、新しいものはすべて、予期せぬ困難にぶつかる。そのとき、能力ある人材のリーダーシップを必要とする。優れた人材を昨日に縛りつけていたのでは、彼らに活躍させることはできない」(明日を支配するもの)

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