2014-07-21

前富岡町長の死

昨年の選挙で敗れたのはもともと原発推進だったからでしょう。昨年のダイヤモンドオンラインの記事からは、低線量地域にも人を呼び返そうとしていたようですが、被曝後郡山に移り住んでもやっぱり死因はガンですね。
『前富岡町長、遠藤勝也氏死去』 【7/21 ロイター】

東京電力福島第1原発事故で全町避難となった福島県富岡町の前町長、遠藤勝也(えんどう・かつや)氏が20日午前9時23分、上顎歯肉がんのため福島県郡山市の病院で死去した。74歳。福島県出身。

東電福島第2原発が立地する富岡町の町長に1997年就任。昨年の選挙で敗れるまで4期16年間務めた。

2011年3月の福島第1原発事故で町役場と全町民が避難を強いられ、富岡町の自宅を離れ郡山市で生活していた。
そんな前町長も同じくダイヤモンドオンラインでは以下のようなことを言っていました。

――対談 富岡町長・遠藤勝也×社会学者・開沼博』 【13/7/2 ダイヤモンドオンライン】
(前略)
遠藤 発災後6年は町に帰れないという宣言をしました。ただし、除染やインフラの復旧が、国が示しているロードマップ通りに進むのかは疑問です。除染自体、当初の計画より1年遅れていますから。仮に6年後に除染が完了しインフラが復旧したとしても、我々が健康面で大丈夫だという安全・安心の確保ができればいいですが、そこがまったく不透明なんですね。

その辺を慎重に分析しながら、その時期を町民に発信するかがこれからの課題です。国としても、今後の工程表も含めた正確な情報と、放射線量が何年後には安全になるという医学的・物理的な知見による判断を、責任をもって発信していただきたい。しかし、これがなかなか出てきません

(後略)

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