2013-12-20

読売、全社挙げての原発一神教布教

この政治部(なんで?)記者の萩原栄太さんに言ってやりたいのは、パンドラの箱とは「脱原発」ではなく、「原発」そのものではないかということです。環境マフィアに洗脳された映画監督のコメント等を紹介して、この新聞の他の記事とシンクロしていますが、結局は代替エネルギーが無いから原発に戻るという短絡ぶりです。まぁ読者層はいわゆる衆愚に近いとも聞いていますからどうでも良いのですが、衆愚でも成人なら頭数に格差は無い訳で一票を投じられると堪りませんよね。
『原発とパンドラの箱 【12/16 読売】

政治部 萩原栄太

原発推進か脱原発か。日本でも国論を二分している論争に、1本のドキュメンタリー映画が一石を投じるかもしれないとして話題になっている。

原発容認に転じた知識人たちの声や軌跡

2013年に全米で公開されたロバート・ストーン監督・脚本の「パンドラの約束」(PANDORA'S PROMISE)がそれだ。かつて原子力エネルギーに批判的な立場をとっていたが、原発容認に転じた知識人たちの声や軌跡を集めて構成されている。日本でも14年春に公開される予定だ。

13年1月、大手映画会社の配給ではない、独立系映画による全米最大級の祭典「サンダンス映画祭」で上映された際には、「観客の75%が原子力反対者だったが、映画終了時には約8割が原子力支持に変わった」と米紙が報じるなど、反響を呼んだ。

「私は気がついたのです。みんな全体を見ようとせず、原子力の危険な面ばかりを見ている」「環境問題を考える時、それでも原発に反対しますか」――。

映画は、化石燃料を使い続ける危険性と原子力エネルギーの危険性を冷静に比較検証する一方、風力や太陽光などの再生可能エネルギーが化石燃料や原子力の代替エネルギーになり得ないとして、地球温暖化対策が打ち出せていない中で原子力を否定することを「ナンセンス」と訴えている。「転向者」の中には米国の環境保護の巨頭と呼ばれる運動家も含まれている。

脱原発後への疑問

筆者は、福島第一原発のような悲惨な事故が再び起こらないで欲しいと願う一人だ。その一方、国内の原発を完全に止めた場合、電力の安定供給は一体どうなるのか、地球温暖化などの環境問題にどう対応するのかという疑問も禁じえない。反原発のデモや運動からは、こうした疑問に対する明確な答えが残念ながら聞こえてこない。

最近、小泉純一郎元首相が「即原発ゼロ」の考えを表明した。長期政権を築いた首相経験者の訴えだけに、脱原発・反原発派を勇気づけたことは間違いない。

「必ず知恵ある人がいい案を作ってくれる」?

だが、その小泉氏の口からも、「脱原発」後の代替エネルギー、温暖化対策について明確な説明はなかった。日本記者クラブでの記者会見では「原発ゼロという方針を政治が出せば、必ず知恵ある人がいい案を作ってくれる」と述べるにとどまった。

小泉氏は首相在職中、竹中平蔵氏のように特定の個人に政策を委ねる政治手法が「丸投げ」とよく言われた。「丸投げ」批判を聞いた小泉氏は「俺はちゃんと人を選んで丸投げしている。ただの丸投げじゃない」と周囲に強がってみせたとも伝えられる。

ただ、国の根幹であるエネルギー問題を、不特定の「知恵ある人」に「丸投げ」するというのでは、あまりに心もとない。

希望はあるのか

前述の映画のタイトルにもなった「パンドラ」は、古代ギリシャの寓話が語源だ。プロメテウスの弟の妻パンドラは神々から「決して開いてはならない」と言われて受け取った箱を開けてしまった。中からは怒り、悲しみ、疫病などあらゆる災いが飛び出し、世界を埋めた。このため、パンドラの箱は、諸悪の根源となるもののたとえによく使われる。

一方、寓話には異なる言い伝えもある。「すべてが飛び出した後、箱には希望だけが残った」と。

仮に政府が「脱原発」というパンドラの箱を開けてしまった場合、大規模な停電、石油価格高騰などの混乱や災いは容易に想像できる。しかし、その後の希望については、想像するのが極めて難しいように感じる。

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