2013-01-16

日経の滝順一君、頑張ってますね、でも所詮…

1ヶ月経たないうちの登場です。しかし、名前の出るコラムが4-5本/年のペースとは、随分暇そうな職場ですね。副業で本を書いたりしているようですけどね。

今回は原子力規制委員会になんと「意見」しているのですが、原発推進の日経ですから、滝君が反対でもこんな書き方にしかならないのですよね。「ルールブックをまず関係者に示す」必要など無いのです。事故が起きても誰も責任が取れないのですし、昨年の夏も原発無しで乗り切れたのです。即脱原発、ドイツにできて被爆国の我が国にできない筈は無いでしょう。それに、即脱原発なら規制委員会自体も不要ですしね。
『孤高の原子力規制委 厳格一辺倒の落とし穴』 【1/14 日経-核心 編集委員 滝順一】

日本原子力発電(本社東京)の神谷昌伸・開発計画室課長がそれを見つけたのは昨年11月下旬のことだったという。敦賀原子力発電所(福井県敦賀市)の敷地内に掘った大きな調査坑(トレンチ)の西側壁面を走る地層のずれ――。

活断層の疑いを持たれていた「D1破砕帯」の亀裂とは少し離れた場所にある。どこまで延びているかが気になって近くを少し掘り返したが、完全には確認し切れていない。「ずれはカーブしており、原子炉の方角へ真っすぐには伸びていないように見える」と神谷さんは話す。

昨年12月1日に敦賀を訪れた原子力規制委員会の調査団は、この新しく見つかったずれを問題視した。調査団長の島崎邦彦・規制委員長代理はD1破砕帯の一部をなす活断層ではないかとの見方を示した。

仮にずれが活断層で、それが敦賀2号機の下に達していれば、運転再開どころか廃炉が現実味を帯びる。

日本原電は、ずれが地下の岩盤が動いた結果できたものかどうか、つまり本当に活断層なのか確かめる追加調査を規制委に対し求めている。

原子力規制委の振る舞いをみると、過去との決別を強く意識しているのがよくわかる。

例えば活断層の調査と評価には島崎氏のほか各原発ごとに4人の専門家があたるが、この4人は日本地質学会など4学会から推薦を受けた16人の専門家から選んでいる。調査結果を吟味する評価会合もインターネット中継、プロセスの透明性を徹底し科学的な議論に基づき結論を出す姿勢だ。

「電力事業者の虜(とりこ)」と、国会の福島事故調査委員会に批判された旧原子力安全・保安院とは一線を画する。規制委の手法を評価する声は多い。

ただ気になるのは、その孤高ぶりだ。独立性にこだわるあまり電力会社や原発立地自治体などとのコミュニケーションに慎重になりすぎてはいないだろうか。

象徴的なのが昨秋の放射性物質拡散予測の訂正騒ぎだ。自治体に原発事故時の避難計画を立案してもらう参考に、原発ごとの放射性物質の拡散予測図を公表したが、風向きなどのデータ入力ミスで全面訂正した。現地の状況に通じた関係者が加わっていたら醜態は避けられたに違いない。

活断層問題でも日本原電の専門家から意見を聴こうとはしなかった。東通原発(青森県東通村)に関してはやや態度を和らげ東北電力に反論の機会をつくったが、その場で科学的な議論が十分に深まったとは思えなかった。

活断層と判断されれば経営上の死活問題になる電力側が必死になるのは当然だ。納得がいかないのなら、追加調査をさせて議論を尽くすのが筋だろうが、議論を早く打ち切りたい様子が規制側にはちらつく。

電力の意見を聴くと取り込まれかねない。規制委自身はそう思っていなくても、社会からそうみられるのを恐れているのだとしたら、本末転倒だ。どのような意見交換をしたのか情報開示を徹底すればよいことだし、そもそも虜になるほど非力な規制機関であってはならない。

規制委に「孤高の闘い」をさせるのではなく、電力と四つ相撲がとれるスタッフと予算を与えるのは政府の責任だ。

もうひとつ、規制委が掲げる安全の論理がよく見えないのも気になる。

昨年末の東通原発の活断層に関する評価会合で、島崎委員長代理は「活断層の可能性がないことを事業者が示してもらいたい」とし、活断層がないことの立証責任を電力会社に求めた。なるほどとは思ったが、こうした論理がやぶから棒に出てきた感じは否めない。

何かがないことを完璧に証明するのは不可能に近い。つまり活断層があると思って対応を考えろということだ。規制委がゲームのルールを変えるつもりなら、ルールブックをまず関係者に示すべきだ。

「厳しい」と「高い」は違うと、原子力工学が専門の東京大学の岡本孝司教授は言う。規制委のホームページの「委員長から一言」には「日本の原子力規制を常に世界で最も厳しいレベルのものに維持」すると書かれている。この「厳しい」が英文版では「最高の(highest)」と違った書きぶりだった。英文版は現在は削除されている。

ささいなようでいて重要な指摘だ。あれはだめ、これもだめと厳格な「べからず集」をつくれば安全が確保できるわけではない。

旧保安院のやり方は細かい規則の順守や書類の整備にはやたらと厳格だが、全電源喪失対策など肝心な事柄が抜け落ちていた。世界の原子力安全の潮流からはずれて、唯我独尊でガラパゴス化していたことが福島の惨事の背景にあった。

だからこそ世界を見回して「最高水準の安全」を目指すことが規制委の使命になっている。それは電力会社に厳しくあたるだけでは達成できない。時には鼓舞も要る。

電力側も慣例や前例踏襲と決別する時だ。活断層評価などで事業会社としての主張は当然としても、世界最高水準をかなえるため、これまで通りにいかないことを覚悟すべきだ。

規制委はとうの昔に承知だろう。しかしそれをもっと声高に、国民にわかるよう発言してもらいたい。

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