2012-06-10

大飯原発の再稼動という大罪 (2) 野田総理の無責任な戯言

消費税関係で頭が一杯の野田総理が、福井県知事に促され、何とかしなければと金曜日に記者会見を開きました。再稼動に向けて所定の手続きのように見受けられるこの会見には本当に腹立たしいものがあります。被曝や除染で苦しむフクシマ関係者のコメントを聞いてみたいですね。国民が本当にイヤだと思うのは、停電ではなく、①被曝そのものや、②被曝回避・生活資金自己補充を考えなければならない状況に突然(「無計画」に)陥れられることです。そして、それらを、「稼動を許可した国民のせい」にして、なんら補償しないという態度に出ることが、今回総理の口から語られているということなのですが、この点に気が付いている国民の比率は意外と低いようです。

筆者は1週間前に以下の3点のコメントをしました。
  1. 議論のスタートが遅すぎ
    → 安全保証が全くできていない
     
  2. 事故発生時の対応への言質を!
    → ヨウ素罪・水・避難手段/場所、Speedi情報即刻開示
    → 被曝・操業補償の考え方とタイムリーな実行計画(含:財源)
       
  3. 電力需要の再検証を!
    → 即脱原発なら既に算定済のハズ
    → 大飯なんか再稼動しなくても本当は足りるんでしょう
これに対し、野田総理の発言は何一つ納得できるものではありません。頭オカシイでしょ、この人。
国民の生活を守るために再起動すべきというのが私の判断」
 → 上記2.はどうなっているのでしょう? 
「立地自治体のご理解を改めてお願いしたい」
 → 立地自治体だけの問題じゃないでしょう 
「全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を止めたままでは日本の社会は立ち行かない。計画停電がなされうる事態になれば、実際に行われるか否かに関わらず日常生活や経済活動は大きく混乱する」
 → 計画的に停電すればやりくりできるでしょ、上記3もしっかりね 
「スケジュールありきで再起動は考えない。個別に安全性を判断していく」
 → 個別に大飯の安全性判断の根拠を示してよね 
「夏場限定の再稼働では国民生活は守れない」 → 細野が言ってた暫定稼動はどうなったの? 
と思っていたら、筆者の言いたいことが京都新聞の社説に網羅的にまとめられていました。
『首相再稼働決断  強引な論理承服できぬ』 【6/9 京都新聞 社説】

関西電力大飯原発(福井県おおい町)3、4号機について、野田佳彦首相がきのう記者会見し、再稼働させることを表明した。

首相は「全ての電源を失っても炉心損傷に至らない」と安全が確保されていることを強調した。計画停電や電気料金高騰による国民生活への影響を避けるべきと、再稼働を判断した理由を説明した。

再稼働を電力需要が高まる夏季に限定しないことも明言した。

その一方で、監視体制強化など京都、滋賀の両府県知事による提言や、関西広域連合が求めている安全性に関する声明への言及はなかった。安全性を判断した根拠について、明確な説明もなかった

この状況で、再稼働に踏み切るのは納得がいかない。首相は「私の責任」を強調するが、万一の事故の際、どんな責任を取るつもりなのだろうか

大飯原発の安全性について首相は「特別な監視体制を置く」と強調した。しかし、これまでに関電が行った対策の多くは応急的で、防潮堤や免震重要棟の設置にも着手できていない。安全性確保というには、あまりに根拠が乏しい。

事故が起きれば被害が及ぶ京滋からの要望に耳を傾けていないのも不安を増幅させる。

京都府の山田啓二、滋賀県の嘉田由紀子両知事は、「特別な監視体制」に両府県を加えることや、原発から半径30キロ圏の緊急防護措置区域(UPZ)に入る京滋の法的位置づけなどを求める再提言を行ったばかりだ。

しかし、首相が考える「地元」に京滋は入っていないようだ。

そもそも、きのうの会見は「再稼働には首相の明確な意思表示が必要」とする西川一誠福井県知事の要請で行った。再稼働に向け、立地自治体の理解の取り付けに躍起になっている姿が見て取れる。

事故が起きた際、立地自治体だけでなく、京滋住民をどう避難させるかの対策もこれからだ。

住民の命より経済活動が優先なのだろうか。事故は起きないから避難計画は後回しというのでは、福島第1原発事故の教訓は何ら生かされていないことになる。

野田首相は、安価で安定した電力の供給がなければ「日本は立ちゆかない」と述べた。本来は別々に考えるべき安全性と電力供給の問題を混同させている。

安定した電力供給が必要なら、火力発電の増強など打てる手があったはずだ。供給努力を怠ったまま2度目の夏を迎え、強引に再稼働させるのは、あまりに国民を見くびっていないか。

政権から再稼働のお墨付きを得た形の福井県も判断が問われる。県内にさまざまな声があることは分かるが、県民の命が本当に守れるのか。ここは熟慮が必要だ。 

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