2014-06-08

放射能に蹂躙されたふるさと

経産省に損害賠償など払わなくても良いので、気兼ねなくテントを張り続けて欲しいものです。全面的に応援します。一度一手みたいとも思いますが、東京は被曝地なので、二の足を踏みますね。
『脱原発の象徴 全国から集い1000日 「ふるさと蹂躙」怒りの詩』【6/7 東京新聞】

東京・霞が関の経済産業省前で原発反対を訴える市民らのテントが六日、設置から千日目を迎えた。初日は東京電力福島第一原発事故から半年後の二〇一一年九月十一日。脱原発の象徴となり、再稼働を目指す国からは撤去を求める訴訟が起こされている。梅雨空の下、この日も原発ゼロを望む多くの人が集まった。 (加藤裕治)

強い雨が降りしきる中、三張りあるテントの一つでは、原発事故で福島県から東京都武蔵野市に避難した小島力(ちから)さんが自作の詩を朗読していた。「帰れないかもしれない 放射能という醜悪な武力で占拠され 蹂躙(じゅうりん)されたふるさと」。約二十人が聞き入った。テントには各地の人がいた。内田智(さとる)さんは宮崎県から来た。「千日の節目。いても立ってもいられなかった」と話した。

テントは、人間の鎖で経産省を囲んだ時に立てられた。「その後も座り込みを続けようと考えた」とメンバーの一人、正清(まさきよ)太一さん(76)は振り返る。

当初は二週間ほどで撤収しようと考えていた。ところが福島など全国から次々と人が訪れ、一張りだったテントを三張りに増やし、そのまま張り続けることにした。暑さや寒さにも負けず、メンバーが交代で詰めており、今は約五十人が協力している。

経産省側は一三年三月、広場の明け渡しと損害賠償約千百万円を求める訴えを起こし、現在も東京地裁で係争中。原発の再稼働を求める政治団体の街宣にさらされることもある。

メンバーの淵上太郎さん(71)は「国民の大半は脱原発を望んでいる。政府が再稼働しないと決断すれば、すぐ撤去するのに」と憤る。

ルポライター鎌田慧さんは「原発推進の中心になっている経産省の前で原発反対の意思を目に見える形で示したことに意味がある」と評価。作家の落合恵子さんは「原発、集団的自衛権での国の動きをみると、怒りが込み上げる。テントがあり、そこに服従しない仲間がいることが、気持ちの支えになる」と話している。

0 件のコメント:

コメントを投稿