2009-10-10

警鐘(2/2)

で、ちょっと考えると、もともと組み立て主体の自動車メーカーがEVにおいて内製すべきか内製しても意味の有るものがステアリングとサスペンションだけだなので、ちょっとした会社でも昔より圧倒的に簡単に作れると思いませんか? 実際6年前にPayPalのElon Muskが創業した米国のテスラとか、あのDB9のデザイナーが立ち上げたフィスカーとか、Soloも出すVelozziとか… この辺りは、量産効果が出るまでは高性能のスポーツカータイプに集中していますが、政府の融資も得てイナーシャを克服しているのだと思います。これで利益を得た後は、下駄のようなEVに進出して来るような気がします。9月の終わりにはインドのTataが英国で電気自動車を作るとか、GM Indiaがインドで電気自動車を作るとかいう話がニュースとなったことも、普及版の需要とモデルのシフトを暗示しているような気がします。

こう見ると、日本の自動車メーカーは本当にアブナイところにいます。現在は、繋ぎのHV等への税制支援と1,000円高速料金で息を繋いでいますが、この民業への支援に見える需要の先食いは将来咎めとなって返ってくるものと予想します。ほぼ国有の(メガ)銀行へのかつての税金投入よりも酷い話だと思います。今や国有企業となったGMを見ても解るように、お年寄りの日本の自動車メーカーもそのレガシーコストと大企業としての小役人従業員の非効率性の双子の減益要因で国有化の道を歩むというのは言いすぎでしょうか。高いEVを買ってくれる人が大挙して店頭に並ぶなどということは有り得ないと思いますが。

書き忘れていましたが、新興EVメーカーが高性能車をまず作ったのは目立ちたがりの裕福な消費者が存在すると読んだからであるように、ガソリンエンジンは機械式腕時計や真空管アンプのような高級品として、同じく裕福な人々の趣味および自己表現の対象として残るのでしょうね、70億地球温暖化総カルト化の中で。そして、彼らは、黒点の減少とか、プチ氷河期が来たら小魚の大群のように向きを変えるのでしょうね。

2009-10-09

警鐘(1/2)

昨日車関係の話になりましたが、あと2週間で東京モーターショーが開幕しますね。東京も以前から勢いが無く、昨今の経済状況も影響していますが、筆者が車好きなのは初回のエピソードを読まれた方ならおわかりだと思います。フランクフルトに続き、各社から新モデルやショーモデルが公開され始めていますが、昨年、一昨年辺りからの大きな流れはやっぱりエコです。でも、ちょっと考えると、現在の自動車メーカーの将来が危ないのです、特に日本の。例えば、T/N/H社とかが、あと10年で潰れることが視野に入って来るのです。

エコとはエコロジーとエコノミーのデュアルエコのことを指すでしょう。双方両立の理想形は電気自動車(EV)です。過渡期のプラグインハイブリッド(以後PHV:Plug-in Hybrid Vehicle)まで含めるのが適当なのでしょうが、中途半端な感は否めません。PHVは、現在のハイブリッド車(以後HV)を売るための幟のようなもので、普及台数がHVを超えることは決して無いと思われます。PHVが生き伸びたかのように見えても、それはエンジンを発電機として扱うPHV、即ち発電機付EVなのです。車庫にコンセント、街中に急速充電器が設置されれば、あとは充電用の電気をどう作って、貯めるかだけの問題です。燃料電池はこの電気の貯蔵に使えば良いだけで、別にわざわざ車に積む必要も無いでしょう。そもそも燃料電池をいちいちカセットのように交換するなんて誰がやりたがるのでしょう。カセットを苦労して取り替えると意思決定したとしても、燃料電池車はインフラに決定的な問題が有りそうです。インフラ整備を雇用対策としてでも考えない限り、無駄な開発は止めた方がよいでしょう。

さて、EVと現行の化石燃料自動車の設計・製造を比較した場合、大きな不安が頭をもたげて来ます。車の基本が、走る、、曲がる、止まる、だとすると、EVはこの基本部分で、圧倒的に、主に機械部品の点数が少ないのです。械式のエンジンがバッテリーに、機械式の動力伝達装置が電線とヴォリュームスウィッチに取って代わられるのです。モーターは2個か4個/台になるでしょう。後は、簡単なブレーキ、ランプ類の付いた外皮と内装ですが、外皮は鉄でなくても良いし、パッケージングの変化に乗じて内装を簡素化することもできるし、タイヤとかは既存の物を使えば良いでしょう。いわゆるノウハウが必要なのはステアリングとサスペンション関係だけになりますね。

2009-10-08

役者

今日出社しましたら、2人のお父さんは性懲りも無くマスク着用でしたので、話が解りそうな方のオッサンに今朝のブログをプリントアウトして渡しました。でも全うな反論もな無かったのと、仕事が早く片付いたのと、生物学的な自己防御のために昼食後帰宅しました。ちょっと割り切れない気持ちを抱きながら…

帰宅途上、路上駐車を避けるために2車線の中央寄りを走行し、次の交差点を左折するために左側車線に変更をしようと、その先の路上駐車を伺っていたのですが、前を空走するタクシーが2車線を分ける線を跨ぐように走行し、左側車線の空き状況を確認しているようでした。筆者は単純にウィンカーを出して左へ車線変更したのですが、それとほぼ同時にこのタクシーも筆者の車に被せる様に車線変更をしたのです。よくある話ですよね。でもその後が酷かったのです。

筆者が一回追い越して、一旦路側帯に寄りタクシーが追い抜いた直後につけタクシーに続いて左折したのですが、彼は店舗の駐車場に入りました。筆者も、止せば良かったのですが一緒に入り、様子を伺っていましたが、彼はなかなか車を降りず、車中で電話をしていました。筆者は車を降りて窓を開けてもらい、言いました。
「運転がズルくは有りませんか?」
ここから、彼の(激情)劇場が始まりました。彼の行状を書きますと;
  • 「覚えが無い」
  • 「謝れというなら謝る」
  • タクシー会社に電話して、聞こえよがしに「今脅されている、警察を呼んでくれ」
  • 「あなたは酒臭い」
この会社はこういうマニュアルが有るのでしょう。税金の無駄遣いはいけないと思い、筆者は最寄りの警察に電話して、「おそらくタクシー会社から電話が有るが、2人で解決するので無視して欲しい」と伝えましたが、やっぱり2人のお巡りさんが来てくれることになりました。

お巡りさんからの事情聴取への返答をオッサンに譲り、虚偽申告を筆者が正すことにしました。正しく直した後、若い方のお回りさんが、オッサンの針小棒大申告と挑発的合いの手を諌めたところで、オッサンから演技ではないと思しき「済みませんでした」の言葉が発せられ大団円を迎えました。最後は全員で笑っていました。何だかホッとするような変な1時間でした。

その後お巡りさんに筆者だけご足労のお礼とお詫びをし、以下の教訓を確認しました。
  • 空走タクシーの後ろは走るものではない(彼らは公道が職場)
  • 激情型運転手の挑発に乗るのは時間と税金の無駄になる
  • 大きな車に乗っていると激情型運転手を徒に刺激する
  • 昼に食べた油鶏林にアルコールが入っていたかどうかを確認する(今後のことも有るので)

2009-10-07

インフルエンザ

筆者の近くの席に座っているお父さん2人が、昨日マスクを着用して出勤してきました。聞くと、ご両名とも揃って「子どもが?型インフルエンザにかかった」とのこと。筆者は即座に「go home」と言いました。一人はお父さんなのに小学生レベルなので、そうじゃないまともな方に言い分を聞いてみました。曰く「会社からのお達しで、家族に患者が発生した場合はマスクを着用することになっている、云々…」。

こちらの言い分は以下のとおりです。
  1. 会社の人事などというものは、「従業員にこう言ったから免責でーす」というパラサイト的な仕事をしているだーけー
  2. パンデミックの意味を理解しているなら、会社の保険のようなお触れでなく、生き物として防御的に行動しようとする非感染者の意見が尊重されるべき
で、その根拠みたいなものは以下のとおりです。
  1. だいたいマスクなどというものは人前でするものではない。感染阻止のためには隔離がベスト。保菌者である可能性が「比較的」高い人間はそうすべき。マスクでは咳やくしゃみによる飛沫を防ぐことはできない。こんな状況下でマスクをして効果が有るのはむしろ非感染者の防御だが、何で無実の者が①コストを負担して、②見栄えを悪くして、③他者に不安を与え、④息苦しい状況にならなければならないのか、非常に理解に苦しむ。保菌者が隔離状態でマスクをするしないは任意。
  2. (今回のように)毒性が強まる前に感染した方が良い場合でも、こちらには、①その時期と、②ウィルスの保有者を選ぶ権利が有る。誰々菌とよく言われるように、質(タチ)の悪そうな、あるいはウィルスをより悪く変化させそうな、普段から近寄りたくないようなヤツからはうつされたくない。
  3. 本来会社は隔離状態でも業務が進むようにインフラを整えるべきであるが、それより先に、お前が1週間ぐらいいなくなっても仕事は回るし、感染が予想される状況下では、「特に」いつでも引継ぎできるよう例えば書き物(今は電子的に)にでも残しておくべき。自惚れるのもいい加減にして欲しい。
  4. デザイン性が良くなったとかの理由で、嬉々としてマスクをつけてくるんじゃねぇぞ、と言いたい。
  5. 従って、マスクをしてのこのこ出勤してくる人は、愚図(普段から一瞬で引継ぎもできない)な阿呆(上記マナー・たしなみを考えたことも無い)を広報していることになる(けど、それでも続けますか?)
最後に彼らに言っておきたいのはこの言葉ですけど、ここまでは筆者には言えません(ので、また今日も着用出勤なんだろうなー、またこっちが別室で執務する掟破りの逆隔離状態なんだろうなー)

「迷惑なんだよ、オッサン(うすのろ父さん)!」
(と書いて思い出したのが、もう一人派遣のオバサンもマスクをしていたことです)

2009-10-06

ガラパゴス

久し振りに変な時間に、でも覚醒後という正しい状態で、一杯入れのアイスコーヒーで一服してぼけーっとしました。ゲーテみたい?

浮かんだのは標題の言葉です。最近はケータイガラパゴスとしてメディアに登場しますが、ケータイおよびネットという環境では都合が悪いように認識されるために、どちらかと言えば「悪」のイメージが有ると思います。でも、アンタイ・アトピーである回虫のように、寄生虫にすら(筆者独断定義のパラサイトには無い)良い面は有るもので、この場合は固有文化とも言えるのではないでしょうか。

即ち(この口調はちょっと前にナンパした娘にとても評判がよかったとです)、地殻変動で孤島として成り立ってきたこの国には、やはり毛唐や夷狄や南蛮には思いも付かない、従って理解できない、ミステリアスな文化が育ってきたのです。その文化もいろいろで、良い点も悪い点も有る訳です。

良い点が多いものをざっと挙げますと、
  1. 武道(武術ではなく)、カラオケ、漫画
  2. 決め細やかな電化製品
  3. 皇室御用達に多い和の逸品
一方、悪い点が多いものは、官公というシステムぐらいしか見当たりません。

グローバル化の意味をもう少し考えた方が良いのではないでしょうか?

2009-10-05

あはれ

中川さん、可哀想でしたね。政治家にしては割りとビジュアル系だったので嫌いじゃなかったんですけど、親が自殺して居ないのをいいことに、自分も早まっては…

こんな末路を強(敷)いたのは、官僚とマスコミというのが通説ですが、マスコミは所詮マスコミですから、やっぱり官僚でしょうね。中川さんは晒してはいけない自分を晒すことを止めることができないほどお酒が好きだっただけのことですが、前夜の就寝前もどれぐらいワインを飲んだのでしょうか。何瓶飲んだか、何錠飲んだかもわからなくなるほどお酒が好きだったんですね。奥さんとも別の部屋に寝かされて、本当に哀れなのですが、そもそもオーナー社長以外、世襲できる職業など無い訳ですから、その咎めとでも言いましょうか…

とりあえず、合掌!

2009-10-04

子どもの目的

毎週日曜は郁夫さんの連載「トストエフスキーとの旅」を斜め読みするのですが、本日版にドストエフスキーと親交の有った、アレクサンドル・ゲルツェンの気になる言葉が有りましたので引用します。
  • 子ども(1)の目的は大人になることじゃない。子ども(1)の目的は子ども(2)でいることだ。
「目的」は「目標」とかに読み換えて、パラサイトに聞かしてやりたい言葉です。ドストエフスキー(も同意しただろうと亀山さんが書いただけですが…)と亀山さん同様、筆者も同意します。ここでまた、筆者が勝手に定義しますと ;
  1. 大人:生活のために堕落した15歳辺り以上の人たち
  2. 子ども(1) :15歳辺り以下の未就業者
  3. 子ども(2) :15歳以上の、生活のための堕落の未経験者
そして、筆者は明らかに3.です。