甲状腺がんになった福島の子どもたちの親は子どもにどう言っているのでしょう? ホットスポットに住んでいる子どもともども住んでいる親も子どもにはどう言っているのでしょう? 危険を過小評価する愚か者が、「正しく」恐れている人たち批難するようなケースを見聞きしてきましたが、これは「正しくない」日本国民の振る舞いの代表例なのでしょう。
『原発事故で群馬から移住 親子の不安いやしたい』 【2/22夕刊 東京新聞】
東京電力福島第一原発事故による放射能汚染を心配し、群馬県富岡市から長野県飯島町に家族で移住した林業小幡唯さん(39)が、同じ不安を抱える親子のため自宅の一部を「保養所」として開放している。二〇一二年七月に始めて以来、東京都、茨城県、千葉県など関東在住の七家族が利用。小幡さんは「子どもへの影響を心配する親の気持ちは同じ。できる限り続けていきたい」と話す。 (鈴鹿雄大)
小幡さん方は、妻久美子さん(40)と二~七歳の子ども三人の五人家族。原発事故後、自宅の庭や子どもが通う保育園の放射線量を測るうち、将来が心配になり移住を決定。一二年二月、中央アルプスを望む飯島町に移った。
引っ越しを機に夫婦で話し合い、一時避難や移住を考える人たちのため保養所を開こうと決意。受け入れができる物件を探し、現在の自宅を購入した。木造平屋を二世帯住宅のように改装し、保養所部分には玄関、風呂、トイレ、台所がある。数日から一カ月まで希望に応え、大人は一日三百円、子どもは二百円、二人目以降は百円で滞在できる。利用者は母子が中心で、二回利用した家族もいる。
昨年八月三十日から四泊五日で訪れた東京都調布市の桜井かおりさん(35)は、長男匠ちゃん(5つ)と次男健大(けんた)ちゃん(1つ)を連れてきた。二人は小幡家の子どもとすぐに仲良くなり、座布団を集めて基地ごっこをしたり、部屋を駆け回って遊んだ。
桜井さんは、震災直後の一一年三月十五日から三重県の実家などを転々としている。「子どもの健康を考えると、少しでも安全な場所で生活したい」と考える。
インターネットで保養所の情報を提供しており、週に数件の問い合わせや相談のメールに応える。福島県飯舘村で原発事故の影響を調べる活動にも取り組む小幡さん。「原発事故は、自分たちの不安がなくなったら終わりになる問題じゃない」と今後も保養所で受け入れを続けていく。
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