2013-03-01

第五福竜丸被曝者からの教訓

この国の国民には、身近に、あるいは本人が被曝しないと、放射性物質の恐ろしさを認識できない人が多いようです。筆者がこんなことを書くのも、マスコミの恣意的な調査や、バカな選挙のせいなのでしょうか。大石さんの話はそんな人たちにこそ聞いて(効いて)欲しいものです。

被曝しても晩発性だったり、発症しても誰も責任を取ってくれないのが必定なのですから…
『ビキニ事件の教訓伝える責任 元乗組員が病床から復帰』 【2/24 日経】

1954年3月のビキニ事件から間もなく59年。米国の核実験で被曝(ひばく)した静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七さん(79)=東京都大田区=が病床から復帰、約9カ月ぶりに中学生の前で体験を語った。地道に積み重ねてきた証言活動は約800回。「教訓を広める責任がある」。大石さんは決意を新たにしている。

「当時は被曝の恐怖よりも、迷惑で隠れたくて口にしたくなかった。仲間が次々に命を落とし、誰かが話さなければとの考えに変わった。放射能は妥協してくれない

1月25日、都内の中学校講堂。つえをついて現れた大石さんは、少したどたどしい口調で約170人の2年生に壇上から語り掛けた。東京・夢の島で船を保存する「第五福竜丸展示館」の市田真理学芸員との質疑応答を生徒全員が静かに聞き入った。

事件で乗組員23人が被曝し、無線長、久保山愛吉さん(当時40)が半年後に死去。大石さんもさまざまな病気を抱え、昨年4月に脳出血で倒れた。7カ月後に退院、リハビリを続けてきた。

今回、自らの思いをA4判の紙5枚にまとめ、生徒に配った。内部被曝の怖さ、ビキニ事件の年に生まれた安倍晋三首相らが平和憲法を変えようとしていることへの危機感……。「途中でしゃべれなくなるかもしれない。文字にすればみんなが読んでくれる」。不自由な手でつづり、市田さんがパソコンで清書してくれた。

福島の原発事故と核兵器から出る放射性物質が同じと分かった以上、ビキニ事件を黙って消すわけにはいかない。平和、核、放射能について、自分の命とこれからのために考えてほしい」。最後に力を込めて「余命がどれくらいか分からないが、今後も(活動を)続けたい」と締めくくった。

証言活動の半数近くは、第五福竜丸展示館が会場。くしくも大石さんの復帰の日に来館者が500万人を超えた。「大事なことを忘れない人が何パーセントかいて、世の中を守ってくれているのかなあ。第五福竜丸の一員として誇りに思う」と顔をほころばせた。

一方、北朝鮮の核実験強行で国際情勢は緊迫化。大石さんは「互いに武器を向け合う威嚇の連鎖に日本は巻き込まれてはならない」と憂慮する。3月1日に静岡県で開かれる「ビキニデー」にも参加するつもりだ。〔共同〕

0 件のコメント:

コメントを投稿